著者イワン・マホフは,在ロシア領事館付属教会の読教士として、安政6年(1859)に来函した。仕事のかたわら作成したのが、この日ロ両国語による「いろは本」である。当時、函館には印刷屋がなかったので、原稿の版木は、仏画を彫っている常木重吉という男に彫らせた。ロシヤ文字に難儀したらしいが、苦労の末に10丁分の版木を無事に完成させ、最後の頁にはその功績を労って名前を入れることが許された。
刷り上がった本のうち、将軍献上用1冊には絹の表紙、箱館奉行等には特製の表紙をつけたものが、文久元年(1861)の元日にマホフから奉行に進呈された。他に函館・江戸・京都・長崎の子どもたちに、100部ずつが贈呈された。すべてマホフ個人の負担で行われたことである。
江戸時代に作成されたロシア語の入門書としても、その時代に函館で印刷・製本が行われたという点でも、極めて珍しく貴重な本で、函館のほか、国内には数冊が確認されているのみである。
なお、この版木の一部がサンクトペテルブルグ市内の博物館にあると伝えられている。