五山文学の拠点であった東漸寺を訪れた禅僧たちの詩を刻んだもの。左板と右板の2点。詩文を陰刻し全面を黒漆塗して金箔を施してあったが、金箔はほとんど剝落している。
内容は、1枚目は無学祖元の漢詩を冒頭に、円覚寺の東明慧日の跋文と漢詩を刻む。これらは弘安6年(1283)3月に無学祖元が東漸寺住持・明窓宗鑑の招きで当地を訪れた際に詠んだもの、同行した僧18名の詩を刻む。2枚目は応長元年(1311)4月に円覚寺の東明慧日が東漸寺を訪れた際に、同行した25名の僧が、鎌倉から杉田までの行程や寺周辺の海辺の景観、屛風ヶ浦の断崖などを詠んだ詩を刻む。
中世の詩板は、神奈川県内では鎌倉荏柄天神社のものと円覚寺塔頭伝宗庵のものがあるが、当該詩板はそれより古く、地域の歴史や景観を含んでおり、まれな価値を有するものである。