多賀城は、陸奥国府として、また平安時代初期に胆沢城に移設されるまでは鎮守府としても機能した、古代東北地方における律令国家の政治的・軍事的支配拠点である。神亀元年(七二四)に成立し、その後、四期の変遷をたどる。
文献史料の少ない東北古代史研究にとって、同時代史料である木簡が果たす役割は大きい。出土した八世紀前半から十世紀前半までの木簡は、物資運搬の際の荷札や呪術的な内容のもののほか、鎮守府関係、軍団関係の木簡や大宝二年美濃国戸籍などの記載方法に則った戸籍抜書木簡などがある。
このように本木簡群は、陸奥国府また鎮守府としての多賀城での政務の内容を示すものや、奈良時代・平安時代初頭の蝦夷政策を反映したものなど、多種多様な内容を含み、律令国家による東北経営の実態を知ることができ、たいへん貴重である。