陸奥国府・鎮守府であった多賀城には、その南方の城外地域にも国府域が広がっている。ここには、奈良時代に多賀城の南西部に集落がつくられ、その後、奈良時代末から平安時代にかけて、南北大路と東西大路を基準として、小路により方格に区画された町並みがつくられた。多賀城関連遺跡群とは、この城外地域の山王遺跡と市川橋遺跡を指す。
木簡の内容は、荷札や付札、文書木簡、題籤軸、習書などである。荷札、付札の地名では現在の宮城県・福島県が、品目では米が中心であるが、保存食品、調度品、繊維製品や馬もみられる。また題籤軸木簡では「右大臣殿 餞馬収文」の文字が特に注目され、出土地は陸奥守の邸宅跡であろうとされる。
本木簡は、古代の多賀城にもたらされた物品や朝廷と多賀城の具体的な関わりを示しており、またこれにより人の移動や、方格地割を形成する道路の年代などを明らかにし、東北古代史および社会経済史研究においても、たいへん貴重である。