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中谷 泰
NAKATANl, Tai
1909-
陶土
Potter's clay
1960年
油彩・キャンヴァス
97.3×162.3cm
東京国立近代美術館所蔵
三重県松阪市に生まれる。1929年,同地の商業学校在学中に上京し,はじめ川端画学校に学ぶ。翌年,第8回春陽会展に〈街かど〉が初入選し,1931年より春陽会洋画研究所に入る。1932年からは,毎年春陽会に出品し,また,1939年には同会の文展参加にともない,〈秋日〉を出品し特選となり,さらに1942年の文展でも〈水浴〉によって,再び特選をうけ,1943年に春陽会会員となった。1970年から77年まで,東京芸術大学にあって後進の指導にあたり,現在も春陽会の中心的な存在として活躍している。
この春陽会において,この画家が出会い,そして師事したのが,同会創立時に岸田劉生とともに参加した木村荘八であった。木村が,生枠の江戸っ子として酒脱な都会性をもち,後年には絵画制作以外にも,挿絵,随筆,舞台美術等にわたり多彩な活動をみせたのに対し,彼は木村とは対照的に,絵画一筋に努力を重ね,画風の上でも直接的な影響はみられない。しかしながら,木村は彼の最もよき理解者であったし,また彼も木村に対してかわらぬ敬愛の念をもっていた。それは,木村に対する次の言葉からもうかがえる。「私は,先生の作品が一貫して人間の生活を描いているのが第一うれしい。人間が画面のなかで活きてるということは何にもまして大事なことだ。」さらに,「このくにの油絵手法の底の浅いことに絶えず不満を感じておられたようである。」として,木村はつねに「日本の油絵」をつくりあげるということを念頭においていたという。この評言ほ,とりもなおさず,彼が木村から学んだ画家としての姿勢であり,また師からうけついだ画業の上での課題でもあった。というのも,諸作品に一貫して流れる人間に対する温かい眼差と,「日本の油絵」,すなわち油彩画の技法を体質化していくために,様々な試行錯誤のなかからつくりあげた独特の重厚なマチエールは,そのまま彼の作品の特色となっているからである。
ことに,ヒューマニズムに支えられた視点は,戦争中の二度にわたる兵役と重苦しい生活体験をふまえて,戦後の〈流田〉(1953),〈農民の顔〉(1954)などのように,戦後社会のきびしく,不安定な現実のなかで底辺に生きる人々を主題に,社会性をもった作品を積極的に描くことによって発揮された。しかし,こうしたテーマ性をもった絵画は、状況に対する直裁な告発の表現をとるために,描かれた人物や事物は、ときとして説明的,概念的におちいってしまうのも事実であった。そのため,再び写実に徹することで,あらたな展開をとげていったが,その契機となったのは,1959年頃より数年間にわたり制作された〈陶土〉の連作であった。これは,愛知県下の窯業都市瀬戸の陶土地帯の景観をモチーフにしたもので,同地を初めて訪れたとき,その採掘現場のスケールの大きさに何よりも感動したという。連作中の一点であるこの〈陶土〉でも,鉛色の空を背景に,採掘によって巨大な渓谷を現出した陶土地帯が描かれている。しかし,単に荒涼とした景観ではなく,ニュアンスに富む褐色を基調にした陶土のなかには,点在する小屋や電柱,そしてトロッコが描かれ,それらはこの採掘現場の巨大さを示すと同時に,そこに働く人々の日々の営みを想起させ,この画家のヒューマニズムを充分に感じさせる。このように〈陶土〉の連作は,それまでの社会性をもった作品を止揚し,同時に風景画を中心とした,今日の堅実な写実に裏付けられた画風を確立するうえで重要な意味をもつといえる。