鶴氅

彫刻 その他

  • 平櫛田中  (1872-1979)
  • ヒラクシ、デンチュウ
  • 昭和17年 / 1942
  • 木・1
  • 218.0×112.0×81.5
  • 29回院展 東京府美術館 1942

128
鶴●
Statue of Tenshin Okakura
1942(昭和17)年
木 高197㎝
wood
第29回院展
1907年、文展創設の年、岡倉天心は、伝統日本画とともに伝統的木彫の振興を目的として高村光雲に有望な新人の推薦をたのんだ。このおり、天心宅を訪問した六人の彫刻家、米原雲海、山崎朝雲、加藤景雲、滝沢天友、森鳳声、平櫛田中はこれを機に日本彫刻会を結成するに至った。そしてその第1回展に田中は〈活人箭〉を出品し、その張りつめた禅機の表現が天心の目にとまることとなった。天心は田中の作品のもつ精神性を米原雲海の技術と双壁のものとし、高い評価を与えている。また田中も天心に深い敬慕を寄せ、〈岡倉天心先生像〉〈五浦釣人〉、そしてこの〈鶴●〉と3種類の天心の肖像彫刻を制作した。「鶴●」とは鶴の羽毛でつくった衣のこと、また被布のような仕立てで、白地に黒の縁をとった服のことを指し隠者などが着たという。旧日本美術院時代に発行された雑誌『日本美術』に「鶴●」と題して天心の写真が載っており、そこでは天心は白いかぶりものをつけ、襟の黒い打ち掛けのような看物を着ている。おそらくボストン美術館の東洋部長時代に、ガードナー夫人の夜会のために特別に天心がつくらせたものであろう。田中はこの写真から2メートル近い木彫の大作を制作したわけたが、写真が全身像でなかったところから、裾の部分は実際と異なっているといわれる。しかしその直線的で簡潔な衣紋の表現は、この像に写実よりもむしろ様式化された記念碑的性格を与えるのに役立っている。

鶴氅

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