商山四皓・竹林七賢図屏風

しょうざんしこう ちくりんのしちけんずびょうぶ

概要

商山四皓・竹林七賢図屏風

しょうざんしこう ちくりんのしちけんずびょうぶ

絵画

狩野元信筆

室町時代・天文22年(1553)

紙本墨画淡彩

6曲1双

 自然の中で楽しそうに過ごす人物を描く左右一対の屏風です。右は、商山四皓図(しょうざんしこうず)、左は竹林七賢図(ちくりんしちけんず)、どちらも中国の故事に基づいた画題です。
 商山四皓とは、秦の始皇帝の没後、乱世を避けて陝西(せんせい)省の商山にかくれた4人の老高士のこと。四皓の皓は白という意味で、四皓とは髪も眉も白い4人の老人のことです。4人は、戦乱が終わって漢の世になり、初代皇帝の高祖に仕えるよう求められましたが、それに応じることはありませんでした。そんな折、高祖の側室が、正室の子どもを追いやって、自分の子どもを皇太子にしようとたくらみます。そこで、正室は商山から四人を呼び、自分の子どもに仕えさせました。これを見た高祖は、正室の子を皇太子にすることを心に決めました。
 左隻の竹林の七賢はやはり魏晋交代期の乱世に生きた7人の賢者のこと。いずれも、竹林に集まって酒を酌み交わしていたとされます。
 なかでも中心人物とされるのは、詩人として名高い阮籍(げんせき)です。
 阮籍が気に入らない人には白い目で対したという逸話から、人を冷たい目でみることを「白眼視」とよぶようになりました。ほかにも、縁談があったとき、60日もの間酒に酔い続けて破談にしたとか、思いのままに馬車を走らせ、道が行き止まりになると慟哭して帰ったとか、奇行の数々が伝えられています。他の6人も、それぞれ自由な思想と個性的な言動で知られますが、こうした態度は、実は乱世を生き抜くためのひとつの手段だったのかもしれません。

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