鼉龍鏡
だりゅうきょう
概要
古墳時代に、中国製の鏡をモデルにして日本で作られた青銅の鏡です。土を盛って作られたお墓、古墳から見つかりました。皆さんに見えているのは、姿を映す鏡面(きょうめん)ではなく、鏡の裏側です。中央にある突起はひもを通す鈕(ちゅう)ですが、その周りに、丸くなったイモムシのようなものが4つ見えませんか。これがタイトルの由来である鼉龍(だりゅう)、中国の空想上の獣です。実は、その鼉龍の頭の部分には、中国の神様の上半身を表した姿が重なっています。さらに、鼉龍は口に棒のようなものをくわえているという、大変複雑な模様です。このような鏡を作る技術を持っていたのは、近畿地方にあったヤマト王権でしょう。
しかしこの鏡は、近畿地方から離れた山口県の南東部、瀬戸内海に面した柳井茶臼山古墳(やないちゃうすやまこふん)から見つかりました。明治25年(1892)に2人の少年が偶然に古墳を発見した後、昭和に入って本格的な発掘調査を行い、全長約90メートルの前方後円墳であったことがわかりました。この茶臼山古墳からわずか10キロほどのところに、白鳥古墳(しらとりこふん)という、こちらも巨大な古墳があります。実は、この二つを結ぶ線上には、古代には船が行き来する水の道がありました。二つの古墳は、その道の入口と出口に位置していたのです。ヤマト王権にとって、瀬戸内海から朝鮮半島に続く船のルートは、大陸との交易のために非常に重要でした。そこで船が安全に航海できるように、その地域を支配する権力者たちと同盟を結び、そのシンボルとしてこうした銅鏡などをおくったのです。この銅鏡は、直径45センチ、重さは9キロ近くあります。古墳時代の鏡としては、日本最大のものです。鏡の大きさはその鏡の格の高さを表すとされていますので、ヤマト王権がどれだけこの地を重視していたかがうかがえます。
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