『竹乃門遺墨集』

たけのかどいぼくしゅう

概要

『竹乃門遺墨集』

たけのかどいぼくしゅう

文書・書籍 / 昭和 / 富山県

編集兼発行者:寺田彦弌 発行所:北一株式会社内 竹の門句碑建設会

富山県高岡市

昭和2年5月29日/1927年

紙・和本・印刷

縦32.2cm×横22.3cm

1冊

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-03-151

高岡市立博物館蔵

本資料は明治から大正にかけて高岡の俳壇で活躍した筏井竹の門の死の2年後の出版された画集。

◎筏井竹の門(いかだい たけのかど)
1871・11・28~1925・3・29(明治4・10・16~大正14)
俳人・俳画家。名をたけのかど、たけのもんとも呼ぶ。子息嘉一夫人筏井とみさんによれば「もん」がはじめのよみで竹の門の家には竹で作った門があり俳号はそれに由るものだという。北雪(ほくせつ)・四石(しせき)の別号がある。本名は虎次郎、旧姓向田(むくた)。旧金沢藩士の家系。金沢市に生まれる。1892年(明治25)高岡に転居、繊維商北一合資会社に勤務。97年日本派俳句会越友会の結成に参画。1900年高岡大火後に移住した桐木町の住居を〈松杉窟(しょうさんくつ)〉と呼び各地の俳人が来遊した。河東碧梧桐に師事し、越友会の指導者、『高岡新報』俳壇の選者となり俳誌『葦附(あしつき)』の刊行、浪化忌の開催など越中俳壇に貢献する。大正期には自由律俳句に向かう。また冨田渓仙・小川芋銭らと親しく往来して俳画に打ち込み,多数の淡彩墨画を遺す。句集・歌集・遺墨集4種がある。享年55。〈労働祭の踏みあらした草の雨あがる〉(1927年『竹の門遺墨集』)は最晩年の作。子息には歌人の筏井嘉一。
(参考文献)
・江沼半夏/(富山大百科事典〔電子版〕、北日本新聞社、20180929アクセス)
・『筏井竹の門覚書』 江夏半夏著 折柳草舎発行 1990.04発行、10p
・『筏井竹の門遺墨百選』高岡市立美術館編集及び発行、昭和49年、年譜

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