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北海道・江別市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧肥田製陶工場(EBRI)北海道江別市東野幌町3-3他

旧肥田製陶工場(EBRI)

窯業で栄えた市中心部にある旧窯業工場。切妻造鉄板葺の平屋建、T字型平面の煉瓦造にL字型平面の鉄筋コンクリート造の増築部を連ねた不整形な建物で、増築部の壁を煉瓦積として一体感のある外観をつくる。近代江別の象徴的存在で、地域に親しまれている。

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))開拓使文書北海道江別市文京台東町41番地1

開拓使文書

 開拓使は、明治2年(1869)7月8日に設置された明治政府の機関で、蝦夷地および北蝦夷地(翌月おのおの北海道、樺太と改称)の行政を担当し、同8年千島・樺太交換条約による管轄地域の変遷を経て、同15年まで存続した。
 その職務は、明治8年制定の「開拓使職務並事務章程」に記されるように、北海道開拓を旨とした。明治3年樺太開拓使開拓次官に任命された黒田清隆は、翌4年に渡米して同国農務局長であったホーレス・ケプロンを開拓使顧問に招聘し、政策助言と各種技術教授を行う御雇外国人来日の端緒を開くとともに、明治5年から10か年におよぶ総額1000万円の大規模予算の獲得に成功した。これにより、明治5年から欧米技術の導入による殖産興業と社会資本整備、移民の奨励と労働力確保、教育と実践を通じた人材育成等に重点を置いた、開拓使十年計画と呼ばれる長期的な施策が開始された。
本件は、開拓使およびその前身の箱館裁判所、箱館府等行政機関において作成、収受、編綴、保管された近代行政文書である。北海道地方行政の後継機関である北海道庁に継承された一群で、現存する開拓使文書群のなかで質量ともに最もまとまった文書群になる。
 これら文書のなかでは、「裁録」と「開拓使公文録」が注目される。「裁録」は、太政官との往復文書の総称で、「制旨録」(太政官からの令達文書)、「稟裁録」(開拓使からの仰裁文書)、「申奏録」(太政官への上申文書)に分類され、巻頭に目次を付し袋綴装四つ目綴に編綴される。重要政策の内容、政策決定権の所在、政策決定手続の過程を知りうる文書群である。「開拓使公文録」は本庁・支庁・出張所各部局において処理を終えた文書を選択し、年次、部類別あるいは関係官庁別に編綴したもので、写本も作成された。札幌本庁および東京出張所のものが中心を占め、正本、副本(写本)、目次類を併せ822冊が存し、開拓使の施策の詳細を系統的・網羅的に伝える基礎資料群といえる。このほか、明治政府の最初期の行政機関である箱館府(県)文書、地形測量、地質鉱物調査や農業、牧畜業、鉱工業等諸産業育成に関する文書、全国的にも早期の整備事例となった道路、鉄道、通信等社会資本整備に関する文書、農業試験場兼教育施設であった官園の運営に関する文書、開拓を担う人材育成のために開設された開拓使仮学校、女学校および札幌農学校の運営に関する文書、御雇外国人の活動や彼らとの個別の対応記録を記した文書、開拓と警備に従事した屯田兵に関する文書、地租改正事業に呼応して実施された北海道独自の地租創定事業に関する文書等、開拓使の施策の実態と、産業、社会の展開を具体的に跡づける文書として興味深い。
 また、先住民族であるアイヌに関しては、明治5年芝増上寺内に開設された開拓使仮学校付属北海道土人教育所に関係する文書、千島・樺太交換条約締結後に樺太アイヌを対雁(現・江別市)に移住させ農業や官営事業に従事させた一件書類等がまとまり、明治時代前期におけるアイヌへの諸政策、その文化等を否定されるなかで、アイヌが強いられた生活、環境の変化の過酷な実態をうかがうことができる。
 以上のように、開拓使文書は明治政府による北海道の近代化の諸政策や開拓使の行政機構を知るうえでの基本資料であり、北海道における同時代の地域社会の形成過程やアイヌに対する諸政策を具体的に伝えて、近代史、北海道史およびアイヌ史研究上に重要である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)江別古墳群江別市元江別

江別古墳群

 江別古墳群は,恵庭山系から石狩平野へ向かって北に延びる野幌丘陵北西端の縁辺部に位置する8世紀後半から9世紀中頃の群集墳である。
 昭和6年,後藤寿一により16基が調査され,墳丘や墓坑とともに蕨手刀,鉄小刀,鉄刀子,耳環,土製紡錘車,勾玉などの副葬品が発見された。周辺には縄文・続縄文時代の遺跡も存在しており,これらは発見者にちなんで後藤遺跡と総称されてきた。
 古墳は,その後,後藤守一により「北海道式古墳」と名付けられ,その呼称が広まった。昭和55年,道路工事に伴う発掘調査と確認調査により,後藤寿一の調査した古墳を含む21基の古墳が調査され,3~5号墳の3基は工事により失われたが,18基が保存された。
 古墳の墳丘は既に失われているが,後藤の調査報告などによれば径3~10m,高さ0.3~1m程度の墳丘をもつ円墳である。周溝は、深さ0.5m以上の円形,長円形あるいは馬蹄形を呈する。主体部は1号・13号・15号墳で確認されている。
 15号墳は,長径約7m,短径約5mの規模をもち,馬蹄形の周溝が巡る。主体部は,墳丘中央部を掘り下げた長さ2.1m,幅0.7mの長方形の墓坑で,北西-南東方向に主軸をとる。墓坑内には,埋葬した木棺の痕跡が確認され,東南部には歯と頭蓋骨痕跡が残り,蕨手刀の柄の一部とみられる鉄製品が出土している。周構内からは,一対の把手がつく須恵器坏,内黒の土師器坏等が出土している。1号墳は,直径が10mで,深さ約2mの円形の周溝が巡る。主体部は攪乱を受けており,昭和55年の調査時にはその位置のみが知られたが,鉄刀子片が出土し,周溝からは鉄鋤先が出土している。
 そのほかの古墳の周溝からは,須恵器坏,内黒のものを含む土師器杯,土師器甕,鉄鏃(4号墳),土製紡錘車(5号墳)などが出土している。須恵器は本州から搬入されたものであり,鉄製品の多くもその可能性がある。
 7~9世紀代の東北地方北部には,直径10m前後の円墳からなる群集墳が造られたことが知られており,墳丘形態や主体部の構造,出土品からみて,本古墳群はこれら東北地方北部の群集墳と基本的には同じ種類のものである。これらの群集墳は,律令国家の支配が及んだ東北地方南部と,直接支配の及ばない東北地方北部・北海道地域とが接触交流を重ねる中で,律令支配地域からの強い影響下に成立したと考えられる。北海道央部の石狩川流域にほぼ限られて展開する,同種の群集墳は3カ所で確認されていたが,2カ所は既に失われ,現在では本遺跡の18基のみが残るに過ぎない。
 本遺跡は,この種の群集墳の北限を示す唯一の現存する遺跡として貴重であるとともに,8~9世紀における北海道地域と律令支配の及んだ地域との交流を考える上で重要な遺跡である。
以上のように,本遺跡は高い学術的価値を有し希少なものである。よって,史跡に指定し,保存を図ろうとするものである。

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))箱館奉行所文書北海道立文書館 北海道江別市文京台東町41番地1

箱館奉行所文書

箱館奉行所は安政元年(一八五四)三月に締結された神奈川条約(日米和親条約)第二条に基づいて同年六月に設置された。遠国奉行の一つで下田奉行次席である。明治元年(一八六八)四月に箱館裁判所の設置に伴い廃止された。
 箱館奉行所は奉行二名(うち一名は江戸在勤、安政三年以降三名)、支配向きには組頭、組頭勤方、調役、調役並などがあり、ほかに御雇(医師、通詞)などがおかれた。調役以下は蝦夷地、北蝦夷地(樺太)の各勤番所詰となるほか、箱館詰は各掛に配属された。本文書に関わる組織の概要は、以下のとおりである。
 一、箱館詰
 運上会所、築立地御普請掛・居留地築立掛・英館御普請掛・亜館御普請掛、町方掛・市中取締掛、地方掛、沖ノ口掛、産物掛など
 二、蝦夷地詰
 ヲタスツ(遠当守都)御用所・モンベツ(紋別)御用所……〈西蝦夷地〉シャナ御用所……〈エトロフ島〉
 三、北蝦夷地詰
 シラヌシ(白主)御用所、トンナイチャ(東富内、富内)御用所、ウショロ(鵜城)御用所
 箱館奉行所文書とは箱館奉行所および上記御用所で作成・受理された一群の文書をいう。五稜郭の箱館奉行所は明治二年の箱館戦争で焼失、このとき奉行所の府庫にあった文書類は灰燼に帰した。北海道立文書館保管の箱館奉行所文書は、蝦夷地、北蝦夷地の各御用所に残されていた文書群であり、維新後一括され、開拓使、札幌県・函館県、北海道庁と引き継がれ、のち北海道庁第一文庫等を経て北海道の所蔵(道立文書館保管)するところとなった。
 これらの中には箱館における諸外国との交渉に関わる文書類があり(英語、仏語などの原資料を含む)、箱館という地域においての欧米列強との関わり方をみる資料として興味深い。町方、地方に関わるものでは沽券地、拝借地など土地に関する資料が残されている。
 北海道アイヌに関してはオホーツク岸の紋別御用所文書が特に注目される。ここでは江戸幕府が積極的に行った改俗策やオムシャ(日本人がアイヌの人びとに対して行った撫育儀礼)の実態など対アイヌ政策を知ることができる。エトロフ島は北海道アイヌの文化が伝承される最北地である。この島のシャナなどにおけるアイヌ撫育政策の一斑、さらにはアイヌの人別帳などエトロフ・アイヌ研究上貴重な資料がみられる。また北蝦夷(樺太)のウショロ御用所文書中の山靼交易資料、シラヌシなどでのアイヌほかの異民族政策に関わる文書や人別書上など樺太アイヌ研究上も貴重なものなどがあり、北蝦夷におけるロシア人を含む異民族交渉のあり方を知る資料としても興味深いものがある。
 箱館奉行所文書は、北辺における幕末外交史史料として、また、アイヌ史研究のうえでも貴重な資料群である。