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奈良県・吉野郡十津川村

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)熊野参詣道
 紀伊路
 中辺路
 大辺路
 小辺路
 伊勢路
 熊野川
 七里御浜
 花の窟
(紀伊路)海南市、有田市、有田郡広川町(中辺路)新宮市、田辺市、西牟婁郡上富田町、東牟婁郡那智勝浦町(大辺路)田辺市、西牟婁郡白浜町・すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町・串本町(小辺路)伊都郡高野町、田辺市、吉野郡野迫川村・吉野郡十津川村(伊勢路)新宮市、田辺市、熊野市、尾鷲市、度会郡大紀町・玉城町・北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町・多気郡多気町(熊野川)新宮川水系熊野川(七里御浜)熊野市、南牟婁郡御浜町・紀宝町(花の窟)熊野市

熊野参詣道<BR/> 紀伊路<BR/> 中辺路<BR/> 大辺路<BR/> 小辺路<BR/> 伊勢路<BR/> 熊野川<BR/> 七里御浜<BR/> 花の窟

熊野参詣道は、熊野三山、すなわち熊野本宮(熊野坐神社)、新宮(熊野速玉大社)、 那智(熊野夫須美神社・那智大社)の三社に参詣する道で、院政期には紀伊路と伊勢路があった。中世において最も利用されたのは紀伊路のうち中辺路であり、京より南下してきた熊野参詣道は、田辺で海沿いを行く大辺路と分かれ、山間を縫って本宮を目指した。院政期には、多数の参詣者が通行したが、特に上皇の参詣は多く、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回、白河上皇9回、女院も待賢門院の13回とかなりの頻度で参詣を重ねている。そうした利用につれて参詣道の整備も進んだ。当時の参詣の様子は、藤原為房の『為房記』、藤原宗忠『中右記』、藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』など多くの貴族の日記、記録に詳細に綴られているが、貴顕のみならず庶民や病者も多かったことが記されている。本宮参詣ののちは熊野川を川下りして新宮を参詣し、そののち海岸沿いに浜の宮に至り、それより再び内陸に入り那智に参詣した。その後は、新宮から熊野川を上って本宮に至る来たときと逆の行程を辿るか、大雲取越・小雲取越を経て本宮に戻ることもあった。また、本宮から湯峰に道が通じており、湯峰の湯に入り疲れを休めた。
  熊野参詣道は、古代末期より近世、近代に至るまで、貴顕のみならず一般庶民また 病苦の民衆までが熊野三山への信仰と憧憬によって歩んだ古道であり、我が国の歴史 ならびに社会・文化を知る上で欠くことのできない貴重な交通遺跡として平成12年 に史跡に指定されたものである。
 今回、熊野参詣道の保存の万全を期すために、中辺路・大辺路・伊勢路と高野山か らの参詣道である小辺路、川と海浜を利用して参詣していた熊野川・七里御浜、参詣 の人たちの崇敬を集めた花の窟のうち、参詣道として良好に保存されている地域を追 加して指定しようとするとともに、従来熊野参詣道として指定されていた熊野本宮大 社旧社地(大斎原)・那智大社境内・青岸渡寺境内・補陀洛山寺境内を史跡熊野三山 とするために熊野参詣道から分離するものである。

国指定文化財(重要無形民俗文化財)十津川の大踊

十津川の大踊

 奈良県の南端、奥吉野の十津川村に伝承されてきているもので、現在は同村の字小原、字武蔵、西川地区(字永井【ながい】、重里【しげさと】など)の三地区で、それぞれ地区ごとに毎年八月の盆に、学校の庭などで踊られる。地区の老若男女が、浴衣などを着て、美しい房を付けたバチで太鼓を打ち、また切子灯籠を下げた笹竹を持ったりして盛大に踊る。大がかりな風流踊の一部が残ったもので、同村にある玉置【たまき】山という霊山を巡礼する僧侶や信者によって伝承されてきたものともいわれている。なお、曲目としては本曲の「大踊」のほか、近年は踊られないが「十三四五【じゆうさんしご】」「鎌倉踊」「お城」なども伝えていた。
 小原では、八月一日からナラシ(練習)を始め、七日盆でいったん区切りをつけ、さらに本格的に練習し十三日の大盆に、小学校の庭で踊られている。もとは寺の堂内で踊ったというが、男女が方形に並び、前列に男性が太鼓を持って並び、後ろに女性が扇を手にして並ぶ。また、房で飾った切子灯籠を笹竹につけたものを持つ者も加わる。太鼓打ちは、白・赤・緑に染め分けた長い房の付いたバチで太鼓を打ちながら、女性は扇を振りながら踊る。太鼓を持つ太鼓持ちの列と、バチを持った太鼓打ちの列に分かれても踊られる。農作業の服装に笠で顔を隠すなどの仮装をして踊りに加わる者もいる。かつては八朔(新暦九月一日)にも踊ったという。
 武蔵でも同様に準備を進め、十四日の夕刻に、元小学校の校庭で踊られる。やはり、かつては寺の堂内で踊られた。この地区でも男性は太鼓を持ち、房飾りを付けたバチで太鼓を打ちながら踊り、女性はタスキをかけて扇を手にし、さらに笹竹に切子灯籠を吊り下げた灯籠持ちが列を作って横に並ぶ。歌は男女掛合で歌う。最後は内側に太鼓持ち、つぎに太鼓打ち、扇を持った女性という三列の輪踊りになるなど相当複雑な形式を持っている。歌詞に「なむあみだぶつさあおどらいで」という言葉があり、念仏踊りの系譜をひくともいわれている。
 西川地区は、同村内を流れる西川の川筋で、かつては大字ごとに盛んに踊りが行われていたが、大正の初めころから、同川筋の永井に周辺の人々が集まり共に踊るようになった。今は、永井と重里の人々を中心に保存会が作られ、踊りが伝承されている。盆の十五日に中学校の校庭で踊られるが、もとは河原で、さらに以前は寺の堂内で踊られたという。盆りはヨリコ、イリハ、カケイリと演じられる。ヨリコは、男性は白い房を付けたバチを持つ太鼓打ちと太鼓を両手に持つ太鼓持ちに分かれ、横隊となり、その後ろに女性が両手に扇を持って踊る。イリハでは、男性は胸に太鼓を吊り下げ、赤・白の長い房の付いたバチを振りながら太鼓を打ちつつ踊る。カケイリでは、ヨリコと同じ形態で踊るが、切子灯籠を吊り下げた灯籠持ちが加わる。西川では、ヤグラを設けず、方形の一団となったまま、場所を移動する形式である。またヨリコは歌詞を変えて雨乞いの時も踊ったとされる。
 十津川村の大踊りは、風流踊りの典型例の一つとして、芸能史上注目すべき点が多い。
 よって重要無形民俗文化財に指定し、その保存を図ろうとするものである。

国指定文化財(重要有形民俗文化財)十津川郷の山村生産用具吉野郡十津川村大字小原

十津川郷の山村生産用具

 奈良県西南端に位置する十津川郷は、十津川と北山川の流域を占め、全面積の96%が山林原野で、古来より秘境として名高い。
 この資料は、十津川郷における生業に関する用具を収集したものである。生産活動に応じて自然物採集用具、狩猟・川漁用具、農耕用具、畜産用具、養蚕用具、炭焼用具、山樵用具、木挽用具、木工用具、石工用具、鍛冶屋用具、手仕事用具、紡織用具に分類し、それらの活動に関係する運搬用具、仕事着、飲食携行用具、灯火用具、信仰儀礼用具なども含めている。全体として十津川郷において営まれてきた山村生産の実態と変遷を裏付ける内容となっている。