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山下新太郎
YAMASHITA, Shintaro
1881−1966
靴の女
Woman with Shoes
1910年
油彩・キャンヴァス
71.7×59.8cm
東京国立近代美術館所蔵
東京の生まれ。1901年藤島武二に師事して木炭デッサン学び,同年東京美術学校西洋画科に入学し,1904年卒業,翌年フランスに留学した。滞欧中,はじめはラファエル・コランの教えるアカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールに通い,次いでパリの国立美術学校でフェルナン・コルモンの指導を受け,1907年にはマドリードに行きベラスケスの〈プレダの開城〉などの模写を行なって古典を研究するなど,アカデミッグな勉強をしたが,一方では印象派,なかでもルノワールの影響を受けた。1908年に〈窓際〉,1909年には〈読書〉,〈読書の後〉によってサロン入選を果たし,1910年帰国,同年第4回文展に〈読書〉,〈読書の後〉,〈靴の女〉を出品し,〈読書の後〉が三等賞首席となり,また翌年の第5回文展でも〈窓際〉によって三等賞を受賞した。1914年石井柏亭,有島生馬らと二科会を創立,1935年帝国美術院会員となって,二科会を退き,1936年石井,有島らと一水会を結成した。1931−32年再渡仏し,その間にギメ博物館蔵の南蛮屏風の修復を行ない,この修復と第1次滞仏中に行なった熔塩出土の古画の修復の功績によって,1932年レジオン・ドヌール勲章を贈られた。1955年に文化功労者として顕彰された。
〈靴の女〉は第1次滞欧中の終りに近い頃の作品である。1908年の〈窓際〉にベラスケスの感化を指摘する人もいるが、すでに光の処理や筆遣いに印象派的な表現が認められ、次の〈読書〉になると色彩は鮮やかとなり画面は明るくなる。それが〈靴の女〉になると運筆と色調の柔らかさと滑らかさは格段に増して、ルノワールの影響が明らかに感得されるようになる。彼がいつ頃からルノワールに関心を持ったかははっきりしないが、ブリヂストン美術館発行の画集『山下新太郎』(1955年)に収められている画家自筆の年譜には、1909年7月に梅原龍三郎、有島生馬とともにルノワールを訪問し、次の訪問の折に水浴の女の5号を買ったこと、また同年の夏から冬にかけてのイタリア旅行の帰途ヴェネツィアで描いた風景2点をたずさえてカーニュにルノワールを訪問したいきさつが記されている。〈靴の女〉はこうしたルノワールへの傾倒のなかで描かれたものなのである。
〈靴の女〉は、帰国後、第4回文展に他の2点の滞欧作とともに出品され、匂やかなパリの空気を漲らせているとして好評を博した作品であり、画家自身「靴襪の黒、軟らかな肉色、襦絆(シュミイーズ)の華(あや)文、それから透けて見える肌の色、髪の毛の色、全体に室を包めるグレエの調子、さう云つたやうな様々色彩の調和、対照を狙つた」と語っている。
ルノワールの影響は、この〈靴の女〉以上に明瞭に、帰国後に制作された、たとえば1915年の〈端午〉や〈供物〉に表われているが、その後彼はこの画風をさらにおし進めることはなく、むしろアカデミックな描法と印象派とのいうならば折衷的な画風に立ち戻って行った。