琉球漆器の創始は明らかでないが、少なくとも十五世紀には黒漆・螺鈿【らでん】などの漆工技術が行われて、明国に進貢されていたようである。以後近世に大いに発展をみた沈金・螺鈿・箔絵【はくえ】・漆絵・密陀絵などの技法は、十六から十七世紀初頭には独自の漆工芸として確立し現在にいたっている。
本件は前述の技法のうち、朱漆地に沈金・漆絵・密陀絵・箔絵を併用して装飾された琉球独特の技法を示す御供飯と称される食籠【じきろう】である。これらの漆工技法はいずれも中国明代漆工技法に範を求めながらも、その技術・各技法の取り合わせには独自の表現手法がとられている。その製作時期は明確ではないものの、口縁に施された回文帯や、見込みに表された足が細く長い巴紋(琉球王尚家の紋)などは古様を示しており、かつ尾張徳川家初代藩主である義直が家康より相続した遺品の目録、尾張家本「駿府御分物帳」に記載があるところから、少なくとも家康が没した元和二年(一六一六)が製作年代の下限となる。巧緻鮮麗な沈金・箔絵・漆絵・密陀絵の技法を併用した類品中の傑出した大型作例であり、かつその作期がほぼ特定できる初期琉球漆工芸の代表的遺例として重要である。