太陽
たいよう
概要
1964(昭和39)年、節子は軽井沢での独居生活を終え、神奈川県大磯の眺めのいい丘陵地に移り住んだ。ここに構えたアトリエを「太陽の家」、自身を「太陽画家」と呼び、太陽の生命力を画面に吹き込んだ作品を生み出していく。「太陽こそ生命。エネルギーの源泉。活力素。」(「太陽賛歌」『花より花らしく』)と自ら語るように、大磯での生活の変化は、作品に新たな展開をもたらし、原色を多用した「太陽讃歌」の連作が生まれた。
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一宮市三岸節子記念美術館文化庁 〒602-8959 京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4
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